仁王門は、もともと重層の楼門であったが、上層部を撤去 した時に大幅に改築、現在は入母屋造・本瓦葺・棟高8m の八脚門である。 修理の際に明らかになった、当初の軒組物を復元して背面 左側の間に置いている。
現在の阿弥陀堂は、貞享五年(1688)に再建されたもので ある(宝珠柱の銘による)。本来は、天台宗の修法である 常行三昧の修行堂であったが、堂の本尊である阿弥陀如来 に対する信仰が高まるにつれて、阿弥陀堂として人々の礼 拝の対象となった。丈六の阿弥陀如来坐像(重要文化財・ 鎌倉初期)は、時代は百五十年ほど違うが、宇治の平等院 鳳凰堂にある定朝作の阿弥陀如来坐像とほぼ同じ大きさ (約2.74m)・様式である。
閼伽井橋を渡ると稲荷舎・地蔵堂がある。 地蔵堂の下から巌窟を通って水が勇き出 ていた。この霊水は仏前に供する清浄水 (アカ)で、この場所はそれを汲む閼伽 井(アカイ)となっていた。霊水は眼病 に効験著しいとされていたが、今は出て いない。地蔵堂は一願地蔵といって一つ の願いに限ってお蔭をいただくという巷 説で名高い。 また、太山寺川上流東岸の花崗岩岩肌 に等身大の磨崖仏(不動明王像)が刻ま れている。手足の筋肉や衣の躍動感から 鎌倉時代の作らしい特徴がある。